★私が扁摘パルスを決心するまで

現在、ステロイドパルスで入院8日目のおぺんぺんです。やることが本当になくあまりにも暇なので、今までの私と病気について書いていこうと思います。

先に言わせてください、本当に褒められた経緯ではなく、今現在は猛省しております。私が言えたことではないのですが、どうか皆様が自分の身体と真摯に向き合い、健やかに生きていけますように。このブログをわざわざ検索などして読みに来てくださった皆様なら、私のような怠惰な人間はもちろんいないと思いますので心配は無用ですが。

 

 

大学3年の時(2013年2月)に地元の総合病院で腎生検を行いigA腎症が発覚しました。当時は尿蛋白/クレアチニン比も0.10だったため、低リスク群と診断され、治療や生活指導は行われず、経過観察のみをしてくことに。

 

大学卒業と同時期に、家の近所の町の内科をご紹介いただくも、私はここで挫折してしまいます。理由はまた別の機会に説明したいと思いますが、私はどうしてもその病院が好きになれなかった。1年ほど通院するも、その後、病院から足が遠のいてしまいました。

 

とはいえ、会社の定期健康診断では毎回もちろん引っかかるため、面談で「通院中です」と説明し難を逃れてました。皆様ご存知の通り腎臓病は自覚症状の薄い病気と言われてますが、思えば私も自覚がまったくない一人でした。心のどこかでいつか自然と治るんじゃないかなんて期待もあったのかもしれません。本当愚か者です。

 

社会人に入って3度目の健康診断の際に、医療面談でかかりつけ医が合わないことを相談。転院を決意し、意を決して嫌いな町の病院に行き、通院をサボっていたことに対してイヤミを言われながらも、紹介状を書いていただきました。そこからネットで病院探しをしました。単なる町の内科じゃなくて、きちんと腎臓の話ができる先生を探さなければと思いました。そして土日も診療をしていて、予約が取れることも条件です。通院だって生活の一部なのですから。

 

いくらか探して、自宅から2駅隣に「腎臓内科」を専門とする先生がいらっしゃる比較的新しく綺麗なクリニックを発見。院長先生のインタビュー記事もネットで一読し、信頼のできる病院だと思えたので、ここにお任せしようと決め、初診の予約を取りました。それがことし2017年の1月のこと。町の病院で最後に検査をしたのは、もう2年も前のことになっていました。

 

担当の女医さんは、見るからに優しい人でした。前の病院が嫌いで通院をサボっていたことを否定せずに聴いてくださってとてもホッとしたのを覚えています。ここならずっと真面目に通っていける。そう思いました。

 

ですが、そうはいきませんでした。検査結果が芳しくなかったのです。病状は悪化していました。初回の検査結果を受けて、すぐにコメリアンコーワ錠(ジラゼブ塩酸塩錠)の内服を開始しました。これで数値が安定すれば、投薬のみでもたせていくこともできましたが、それも叶わなかった。「一生薬を飲み続けるか、手術をしてその必要がなくなるかもしれないかの選択」。もう治らない可能性もようやく十分に思い知りました。扁摘パルスを受ける決心をし、私は総合病院に戻ることになったのです。

 

 

私は後悔をしないことにしています。反省はします。人生はやり直しが効かないし、クヨクヨすることに時間を費やすのはもったいないと思っています。常に最善を尽くしているという自信を持って、怠惰であろうが怠慢であろうが、その時点の自分の判断を許すことにしています。

 

igA腎症は40%が腎不全に移行する病気と言われています。元来、私は石橋を叩いて渡るタイプの人間です。たとえ話ですが、私は大学受験だとしたら、60%しか合格率のない大学は受験しません。つまり、そこに40%のリスクがあるなら、私は回避して生きてきたのです。でも、今回はできません。敵は自分の身体なのです。生きていたかったら向き合わなければなりません。

 

寛解に至るには早めの治療が鍵といくつものサイトで読みました。もっと早い段階で治療に至っていれば、明るい未来が約束される確率が上がったかもしれません。でも、それももう無意味だし、何なら今だって遅すぎたわけじゃない。個人差が大きい病気だし、タイミングが早かったからといって完全に効果があると言えるわけじゃない。全てやってみないとわからないことです。それなら前向きに考えようって思ってます。

 

年始に引いたおみくじは小吉でしたが「病気」の欄には「全快します。良い医師に診てもらうことです。」と書いてありました。そんな些細なことでちょっとだけモチベーションが上がって、今年はきちんと病院に通って自分の身体と向き合って、健康になろうと誓いました。そうして今、入院しています。

 

 

私が80歳まで健康に生きれる可能性は、もしかしたら60%より低いかもしれない。でも明日ミサイルが飛んできて死んじゃう可能性は誰にだって平等だし、未来は予測できない。それなら今を楽しく生きていたい。今この瞬間、より良い生き方を選択したい。そんなことを思いながら、入院生活を過ごしています。